NHKドキュメンタリー「建築家・伊東豊雄 "復興"に挑む」

昨年12月21日放映の建築家の伊藤豊雄さんの"復興"に挑むを見ました。
内容は岩手県釜石市から町全体の新たな構想作りへの参加の依頼でその過程の
ドキメンタリーでした。
番組では伊藤さんが現地において地元の人達との会話、ふれあいの中からこの
苦難を建築家の創造でまとめていく姿がありました。
伊藤さんは『かって戦後の焼け野原からの復興を支えたのは建築家だった、
そして今こそ建築家の真価が問われている』
落ちついた静かな言葉の中には力ずよい新たな建築家の使命と責務が感じら
れるものでした。
伊藤さんの作品は世界にも数々あり、現在岐阜の町にも伊藤さんの建築が進行中です。
各務原市にも葬儀場が伊藤さんの設計で造られました。
しかし今回大震災の復興のドキメンタリーを見て今までとは確かに違う建築の
ありかたを建築家伊藤豊雄さんは模索しているように思えてなりませんでした。
戦後の日本は復興の証として、夢や希望そして幸せを求め建築と言う物に具現化
して歩んできましたが、
今回の番組の中で地元の人達に計画を説明しながら、生きる希望、夢を見える
形にしていく過程はかってのように建築が詩や音楽のように人の生きる糧に
なっていく姿でした。
プロジェクトができるかできないかは数年後を待つしかないのですが、
それより今回の伊藤さん復興プランの提案には地元への大きな喜びとなった
事は間違いありませんでしょう。
ひさびさのいい番組でした。

| - | 09:11 | comments(0) | -
 ひさしぶりの投稿です。
あまりにもいろいろありすぎてブログに載せる事ができませんでした。
ここ数年、世の中のめまぐるしい変わり方について行けませんでした。
今から30〜40年ほど前にもいろいろな変動がありましたが、ここ数年の変動と社会の出来事はかって起きた事ない事ばかりでとまどうばかりでした。
こんな時代を生き抜いていく生き方と社会のあり方はどんな形で将来に語り次がれ歴史にきざみこまれていくのでしょう!
生活の仕方や仕事の仕方など人がこの世に生まれて生きて行く基本的な意味と方法が問われています。
自然の脅威〜科学への放漫さ!〜資本主義社会の崩壊、、、、、、
世界中の人間がこれほど同時に情報を手中におさめて悩む時代はかつてありません!
JOBS氏も亡くなりました。次の時代をどうとらえどの方向に我々は向かうのが正しいのか、、、、まずは!今、生きている事の重要性と感謝を感じ、次に進まなくてはいけません。

*****
(2011/10/13)ICBMワークショップの服部洋一郎氏が亡くなりました。
彼とは同じ10代を過ごしました。
社会に出た頃は建築やインテリアデザインの仕事で新しいデザインを求めて苦悩する毎日を過ごしました。そんな中で彼のパワーと感性は常に新しいあり方を提示し社会を牽引するものでありました。
特に岐阜において斬新な店舗デザインは当時他に無い面白いものでした。
それから数十年、今彼からのおすすめの本が手元にあります。
彼も編集に参加している『工作舎=全宇宙誌』1979年編集松本正剛と言う本です。
広げてみるとちりばめられた星と宇宙に浮遊するような感覚の不思議な本です。
きっとこの宇宙のどこかで浮遊しているのでは、、、、

とても残念ですが、彼と皆で邁進した時代の思い出と、デザインに対しての彼の挑戦と畏敬の念は今も鮮明に心残っております。
ご冥福をお祈りします。




| - | 11:07 | comments(0) | -
OKINAWAにいってきました。

岐阜では7度でしたがOKINAWAでは17度でした。
とてもさわやかな風が心を癒してくれました。

OKINAWA
JAL.OKUMA
| - | 08:20 | comments(0) | -
 1月のラサの朝は氷点下の寒い気温です。
日中は風がなく日だまりでしたら暖かく過ごしやすいのですが、
それでも標高4000mちかくあるので、雲など日陰に入るととても寒いです。

さて、昨日はポタラ宮殿の内部を見学しました。正面から入るにはチベット巡礼者の方が多すぎてとても見学所ではないため、特別に裏口から見学させていただいたのですが、中はすごい人でした。
内部は薄暗く足下さえも分からない明るさでした。
唯一巡礼者が持っている手元のロウソクの明かりがぼんやりと周りを明るく照らし出してくれます。
3階なのか4階なのか全く分からない通路を上がると、ある一つの部屋に入りました。

その部屋の祭壇にはチベットの特徴ある大きな仏像が並びその前に、少し高くなっている場所がありました。
その場所には、小柄なご年配の高僧が座っておられその周りを巡礼者の方がぐる〜っと円んを書くように並んで高僧に一人ずつ手を合わせていました。
薄暗いその部屋は不思議な緊張感がありとても静かでした。
そして、巡礼者のそれぞれの顔に涙がいっぱい溢れていました。
その光景は正に人々が信仰に思いをよせる心の姿でした。

私も高僧に手を合わせて会釈しましたが、日本人と分かったのでしょう笑顔で手を合わせていただきました。
まるで日本でいう灌頂儀式のようでした。

あとで聞いたのですが、チベットの人達にはラサのお寺に参ることは、人生の中で最高の幸せであり念願だそうです。
このために半年〜中には1年かけて五体投地でくるそうです。
私は一般的な信仰心ほどしかもてなく情けないないのですが、これほどまでに信じる事を純粋にできる人達に出会い感激でした。

次は、大昭寺に行きました。
お寺の正面の間口はおよそ20mほどあり、床には大きな石が敷き詰められていました。
五体投地の作法でお参りするため、床石は光沢をおびてつるつるしております。
30〜40人ほどの人がつぎつぎとお参りしています。
各地域からやってきたのでしょうか?
服装や顔、体格などがばらばらでした。

大昭寺の内部に入り屋上に上がらせていただきました。
ポタラ宮殿と町の景色がすばらしかったです。
5年10年もすれば、この景観も間違いなく変わってしまうのだろ〜と思い、ここから見える風景をカメラに思い切りおさめました。
大昭
大昭寺の屋上から





寺を出て次は八角街です。パルコル
大昭寺の周りは八角街/パルコルと言って、お寺の周りにいろいろなお店がでてい場所があります。巡礼者の人達がお土産や記念品を買いもとめる場所です。
日本で言えばお寺の前の屋台やお店がならぶ所です。とにかく人がいっぱいで、歩くのも大変ですが、面白い事に歩く規則があり時計回りに歩かなくてはいけないので、同じ方向を向いて歩きます。
お店に並んでいるものは、珍しく面白い物がいっぱい並んでいます。
特に仏具や教典など仏教に関する物が多く見られました。
中にはどうやって使うのか分からない、しゃれこうべ(ガイコツ)や骨?など、おどろおどろしい物が沢山並べてあり面白い場所でした。
余談ですが、日本のパルコはここからとったネーミングだそうです。

パルコル
いろいろな物が並ぶパルコル:何の頭蓋骨??
| - | 17:21 | comments(0) | -
ポタラ宮殿内、教典の部屋 
ポタラ宮殿内部/教典の部屋

チベット、ラサの町は標高3650mあります。
日本の富士山3667mより少し低いのですが、空気の薄さは山頂とほとんどいっしょです。
私は空気の薄さになれるまでの高山病の苦しみを味わいましたが、1日すぎると何とか順応してきました。少しづつ高度に合わせていけばいいのでしょが、標高3,000m以上の所へいきなり降りる事は高山病要注意と言う事です。

さて、ようやくラサの町に着きました。このラサという呼び方ですが、チベット語のLHA(神)SA(土地)を意味しているそうです。神の土地なんてすごい言語です。
チベットの人達の宗教はご存知とおもいますが、日本と同じ仏教の国です。
少し違う事は、日本に入った仏教はインド〜中国〜日本と伝えられたチベットより古い前期仏教です。空海、最澄さん達により伝えられ、そして中国に伝えられた仏教をそのままではなく日本人に合う形にアレンジして伝えられて日本人に浸透してきました。

そしてチベットの仏教ですが、少し新しい中期仏教(6〜8世紀)でインド〜チベットに入り、広まったそうです。
最初は6世紀の初めにソンツェン、ガムポ王というチベット国を造った王がネパールの王女テイツンと唐の王女文成をお妃として迎え、このお二人がたまたま?仏教徒であったことによりチベツトに最初に伝えられたとされています。
チベット仏教の特徴ですが、日本の仏教とはかなり違った形です。
いろいろあるみたいですが、難しい事はさておき、例えば五体投地という祈り方があります。日本でも一部の中にありますが、チベットでは一般の人の参り方です。実際にその場で見るととても崇高で信心高い参り方と思いました。
私達が旅行中にデプン寺を訪問した時に、ティキさんが実際にやってみませんか?と教えていただいたのですが、まねごとではできない行為と思いできませんでした。
そして日本のお寺と違いチベットのお寺の中は薄暗くバター茶の光明と煙〜臭いそして室内空間が原色になっており日本のお寺とかなり違いがあります。
お寺の建物にもいろんな建築技法〜その経緯など特徴がありました。

このお寺や町の中を歩いていてとても心に感じた事がありました。
それはこの場所(ラサ)立つていると、空気や気配が過去から今という時間の中に一途に流れている感じがものすごく伝わってくる事でした。それは、断片的ではなくどこまでも続く人の営みが遠い大昔につながっている河(時)の流れのような感じでした。
それはまるで今という時間の中にすべてが凝縮しているかのような不思議な感覚でした。

いろいろな国に歴史ある建物や景観は数多くありますが、いずれも観光化されどれも断片的でした。
しかしここは違いました。確かに今が過去に流れているようにつづいていました。
この流れる時間と人の営みを現在まで残す事とができた要因には、きっとここの地理的環境が大きく影響していると思いました。
なにしろ平均高度4000m以上という自然環境がとても厳しく、おまけに100年ほど前まで鎖国政策を行ってきたという、正に貴重な文化自然保護区のような場所です。
このような条件により今日まで貴重な文化、環境〜過去の時間が残ってきたのでしょう。
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しかし大変残念な事に今日中国政府がこのような独特の営みと文化を理解できず、消滅させている事です。
どうみても国が継続的に繁栄していこうとする行為の中に、たんなる建築物や自然を残すだけの偽善的な行為と経済発展事だけでは、これから100年^200年後にはきっとその民族、というより人間(国)はお互い滅びてしまうような気がします。






| - | 13:30 | comments(0) | -
ポタラ宮殿ポタラ宮殿に参る人達
                               JUGEMテーマ:家庭
ポタラ宮殿に参拝する人々、標高が高いためゆっくり上る。


いよいよラサに向かいます。
ヤルツアンポ河沿いに、タルチョがたなびく民家を眺めながら2時間ほど走ったでしょうか、やがて二つにわかれる道になり、その右側に橋がありました。
まっすぐに行くとシガッェでネーパールやカイラス方面です。そしてこの河(橋)を渡るとラサ市街に向かいます。
ああ〜やっとラサに着くぞ〜
気分も少しながら良くなっているみたいです。
道もよくなり、しばらく走った所に岩を掘った磨崖仏(ネタンの大仏)とオム、マニ、ペメ、フム、の祈りの文字があらわれました。確か川口慧海の本の中にもこの磨崖仏の事がでており、100年前に慧海さんもこの場にきたのだ!と言うなんとも言えない感覚を味わいました。
この磨崖仏の前で少し時間を過ごしラサの街に向かいました。

街に近ずくにつれて人と車が多くなってきました。

そして、ついにラサの街に入りました。

------予想していたよりあまりにも大きなポタラ宮殿-----

ポタラ宮殿が天高くそびえる光景と五体投地する巡礼者達を見ると、本当にラサにきたのだと言う実感がわいてきました。
計画から長い年月をかけてやっと着いたと言う感じでした。

ぬけるばかりの空と太陽の光りそして真っ黒な顔のチベット人、手にはそれぞれマニ車をまわしています。

それにしてもに長い道のりでした。
ここで少しこれまでの試練(少し大袈裟ですが)の道のりを書きます。
試練!それは最初に始りました。
まず忍耐!意気揚々と出発した大坂空港からいきなり7時間もまたされ、深夜上海のホテルに着くなり『予約が入ってません』と言われ、翌朝早く上海国内線空港に出かけると『この便は無くなりました』と??飛行機便が無くなる??信じられない!『違う便を手配して下さいと』簡単に言われ、やっとの交渉で今日の成都便(夕方)のチケットを手に入れ!待つ間、案内の方のお気持ちであまり気分の乗らない市内観光へ〜早速タクシーに乗り走る事10分いきなり、**ドカン!!**前の車に追突!足のむこうずねを負傷!公安が駆け付け喧嘩なのか何なのか解らないまま〜次ぎのタクシーに乗り換え、ところが乗った途端こんどは違う公安に乗車禁止区域の乗車違反!タクシーの運ちゃんからめちゃめちゃ訳のわからない中国語で攻められ『*こんな所で乗車したおまえらが悪い!!』みたい??、、、
観光なのか何んなんだか解らないまま時間を過ごし再度空港へ、空港内で待つ時間およそ4時間そしてやっと成都とに着いたのは夜中。もう1週間以上旅をしている感じでホテルへつきました。

次ぎの朝、、、、、、、、ホテルに連絡が入り、、、、、、成都からのラサ便は霧が多いため今日は決行で〜す!
今日1日、た、の、し、み、な?成都観光だ??,,,がまん、がまん!!
そして、具体的にどうなるの、と言う事でまた案内の方(今度は若くて綺麗?な女性)にそれでは私が〜古い歴史と中国の思想の発祥地を案内しま〜す。と、とてもとても頑張っていただきました。
そして翌日とても綺麗なガイドさんとお別れ『帰りはまたここで私待ってます〜気をつけて』!
霧の合間を見て離陸する機内はチベット民族の人やら漢民族の人やら田舎の観光バスのようでした〜〜眼下には崇高なヒマラヤ見えました。実際に機内から見るヒマラヤは見飽きる事のない美しく山々は地平線かなたまでつづく地球規模の大きさでした。





| - | 10:02 | comments(0) | -
JUGEMテーマ:家庭

少しの間ブログ(チベット)を書いていません。
ネットをいろいろ見ていると多くのブログがありつい読みふけっております。
ブログってなんだろう〜ブログを書く人ってどのくらいいるのかな〜何で書くんだろう?
と最近こんな思いや疑問に心が傾いております。

30年ほど前には自分の事柄や出来事など、人に向けて書くなんてとんでもない事でありました。
もしも、書くとすれば自分の記憶を残し、楽しい出来事や嫌な思い出を文章として過去の記録の方法として、唯一ナイショで日記を書くぐらいでした。
でも、最近の若い方?は本当に日常の出来事やその時の気持ち、そして自分の考えを簡単に書いています。
僕なんかとうてい日常の出来事など書いてブログに載せる勇気も文章力もありません。
と、いいながらこの事を書いていますが?
まあ〜あまり考えると頭がはげたりするといけないので、、、、、、、、、、、、それでも考えてみました。

ブログを書く事は、やはり人に向けて書くと言う行為より、実は自分で自分を見つめ直し自分を探しているのかもしれません。
一般的に今の社会はなにをやっても生きると言う納得あるリアリティーが見つかりにくなっているかもしれません。
携帯電話やコンピュターのない昔は人に直接会って、話し〜笑い〜怒る!心がときめく事ばかりでした、そんな昔の社会では当たり前だった事が、今や直接会って会話をする機会が少ないと言うか出来にくいコミニュケーション世界の中で、唯一私は生きているゾ〜と明確なそして最も簡単な表現がブログであるのでしょう。
きっと、ン〜と若い方は生きている事を常に感じるために、ブログと言う宇宙空間と新しいコミニュケーションリアリティーを体験してバランスをとっているのかもしれませんね。

次回チベットつづきを書きます。

| - | 19:22 | comments(0) | -
JUGEMテーマ:家庭*住居地区の子供達

住居地区に滞在した時間は2時間くらいでしたでしょうか。
案内された住居を一通り見させていただきました。
住居地区のまわりは本当に何も無く乾燥した大地と深く青い空だけでした。
そんな中での人々の暮らしは素朴でいながら力ずよいものがありました。
初めて見るチベットの人達の生の生活は厳しい環境に耐える知恵と忍耐の生活でした。
彼らの長い歴史の時間の中で、経験と工夫により自然との共生がこの厳しい環境にも耐えていけるのだと思いました。
平均標高4000メーター以上のこの環境の中、ほとんど何も無い所です。ヤクと言う動物がおりますが、物資の運搬から乳はバターに、毛はテント地、皮は衣服に、フンは燃料や住居の材料にそして肉は唯一食料になります。このように彼らは厳しい環境の中ムダの無い合理的な生活をしております。
現在、日本では環境問題や食料問題が論議されております。そして自給率40%でありながら恐ろしいほどの消費生活をしております。
物質的繁栄と飽食の中、尚も絶えず飢餓感にさいなまれ続けております。
人間の幸せとは-------------

この訪問の時にふと思った事がありました。
今までにいろんなアジアの国に訪問して、いろいろな人達にお会いしましたが、本当にチベット人と日本人は顔だちが特によく似ていると思いました。
カメラで子供達を撮った時などファインダーの中一瞬昔の自分を思い出す感じでした。
それほど雰囲気や骨格がよく似ていました。
チベット地域によっても異なりますが、男性は野生的(特にカム地方)で体格もしっかりした方が多く、女性などは小柄で美人な方が多いと思いました。
余談になるが、確か京都の西本願寺のお坊さん多田等観はチベット女性と結婚して日本に帰国していたと記憶している。とにかくきれいな方が多いと勝手に思い込みました。

さて、この村を去る時案内してくれたホテルの方や子供達が、村の広場で見送っていただきました。二度と合う事もないであろう私達に、車が見えなくなるまで手を振っていた姿は目に焼き付いています。さようなら!

現在チベットの子供達は中国の教育を受けています。
人間(民族)の基本的な部分が形成される少年期に教育と言う言葉で中華思想を植付けていく。この子達が大きくなってもチベット民族の精神だけはいつまでも忘れず残ってほしいと心に念じて去りました。

村の子供達〜今どうしているのかな〜子供達
| - | 10:38 | comments(0) | -
JUGEMテーマ:家庭
ツェタンからラサへ
ユムブラガン宮殿ではとても印象深い経験をさせていただきました。
そしてツェタンニ向かう車中、ボーとした頭の中に思う事は、いったいこれからこの身体はどうなるの?
自分で思う事と身体とのコントロールが、まったくできず身体が違う動きをしている--------------こんな体験は、はじめてでした。
ツェタンのホテルに着くや、僕はお先にベッドに入りました。
当然夕食など食べる事もできませんでした。
あまりの苦しさに脈をはかると1分間に120ほどです。なにもしないのにマラソンをやってるように心臓が勝手にパクパクです。
高山病とはこんな苦しいものとは少し甘い自分を----しかしもう手後れ、ここはチベットです。
後に聞いた話では成都の病院に緊急搬送されて、恐ろしい中国式請求(1.000万〜)を受けた方が結構いると言うお話でした。---貧乏な僕はガンマンする事以外、何も考えられないのでした。
この夜はとても眠る事などできませんでした。同伴してくれたガイドのティキさんが見舞におとずれて「大丈夫です。もう少しのがまんです〜」
(ティキさんはなんと言っても7000メーター級のガイド)と僕の手をしっかりにぎって言ってくれるのでした。
いまから思うと完全に重症患者--危篤状態の僕でした。
一夜あけて僕の身体はチベットになんとか順応しておりました。
昨夜、鏡で見た恐ろしいゾンビのような顔からなんとか生きた顔がもどっておりました。
よかった〜!
そしてホテルでの朝食を軽くすませいよいよ楽しみなラサです。
今日の計画をたてる時、チベットの人達の現在の住居と生活を実際に触れてみたく、ティキさんにお願いしたところ、このホテルで働いている方の住居地区に特別に案内してくれると言う事になりました。
このような計画は当然中国の許可が必要です。ガイドによっては多額の金額が必要になったりします。今回は観光局には届けてなく、チベット人ティキさん達の特別企画でした。
これもチベット人ガイドのお二人だからできるのでしょう。
現在では監視が厳しくとても無理な事でしょう。
住居地区まで1時間ほどの道のりでした。
少し広い広場に私達が到着すると子供達と牛や犬の元気なお迎えでした。
子供達の笑顔は今の日本では見かけられないとても純粋な笑顔で、それは僕達が子供の頃の昭和初期の感じでした。
訪れた住居ですが、50〜60位の平家の集まりでした。ほぼ西方型の形の中におよそ10mほどの四角の中庭があり、その中庭を囲んで生活空間が設けられています。チベットでは乾季2月頃から強烈な風が吹きはじめるのでこの風などに対応するための造りです。
住居を構成したいる材質ですが、基本はレンガや石を積み外壁に土とわらの混合された素材で塗り固められておりました。一部ではやく(牛)のフンをわらで混合して壁に塗り込む方法がありました。
その後、家の内部に通されバター茶をごちそうになりました。はじめて味わうバター茶は紅茶の中に少しバターをいれたような味で、とても味わいのある味でした。
内部はどの部屋もとても明るく中庭の居心地も快適でした。
その中で、南向きの一番日当たりがよく、赤や黄色などのカラーを使った色あざやかに装飾された部屋があり、そこが仏間でした。各部屋のなかでも一段ときれいな部屋でした。真っ赤な祭壇がありチベツトの人達の信仰の深さがうかえました。
祭壇には歴代のお坊さんやダライラマの写真など飾るのが一般的みたいですが、現在中国政府の厳しい取締がありダライラマの写真などは持つ事も許されない状況です。
一通り各部屋を案内していただきこの過酷な環境で生活していくための知恵がいたるところでみうけられました。素朴で余分な物は何も無い究極のエコ生活を実践しているのでした。







村の広場子供〜牛〜犬が迎えてくれた、村の広場
| - | 11:54 | comments(0) | -
JUGEMテーマ:家庭ユムブラガンからラサへ!

西蔵初日のユムブラガンでの体験は私にとって、とても貴重な事でした。
酒の飲み過ぎでの失敗は少々あるのですが、まさかチベツト入国の初日に歴史ある場所でこんな事が起きるとは、よほど日頃の行いが悪いのか----自責の念に!
しかし後になりチベットで起きたいろいろの失敗や事柄らについて考えてみると、なぜかどの事も貴重な答えそのものとなり楽しいものとなるのでした。
旅の途中はとても余裕がありません。これからまだまだ標高が高くなる場所への移動は高山病の不安など心配事がふえてきます。
日本を発つ時の勢いなどどこえいったのやら、この時は到底なくなっておりました。

この宮殿の建物ですが、小高い山(150mほどの高さ)の上に組み合わさった2〜3階の複合建築物で石と漆喰+木で固めた建物でした。内部は高さ9〜10m位の吹き抜けになっており、宮殿に相応しい空間でした。
紀元前120年ほどの建物と言われておりチベット最初の王宮です。初代王は天から降りてきたと神話が語るニャテイ.ツエンポ王です。
*日本の神話ですと伊勢神宮のあまてらしますおおみかみです。
現在の建物は文化大革命1960年代に破壊され近年復元した物ととなっております。


宮殿の入口を出て、ここから見える景色を写真におさめました。
平たい平地と4.000Mほどの小高い山々はどこを見ても神々しく崇高な輝きで満ちていました。
しかし、気分の悪さと自責の念にもう!初日から心はずたずたです。
それにしても、あとの3人は元気な事!
さっそく山を降り車に乗込みました。初日の予定は終了です。ツェタンの宿泊所へ向かう事となりました。

村の住居屋根の上見学させていただいた、住居の屋根からの眺め
| - | 16:59 | comments(0) | -